2016年12月27日
カルロ・コッローディ7
1860年34歳のときにコッローディは
演劇検閲委員会の出向職員に任命されます。
仕事でさまざまな戯曲を読んだ経験が、
のちに『ピノッキオの冒険』に結実したとも言われています。
そして、1875年49歳のときに転機が訪れます。
小学校の教科書や童話を出版する大手だった
フェリーチェ・パッジ社からの依頼で
シャルル・ペローの作品を翻訳することになったのです。
この翻訳を通じて、コッローディはおとぎ話の世界に触れます。
また、それまで大人向けにコラムなどを書いていたコッローディが
子ども向けにも文章を書くきっかけになりました。
翌1876年、新しい時代にふさわしい作品を、との
フェリーチェ・パッジ社の依頼で
『ジャンネッティーノ』を執筆します。
(1871年にイタリア王国が建国されました)
タイトルは、主人公の少年の名前です。
1837年に出版され、教科書として使われていた
パッラヴィチーニの『ジャンネット』を下敷きにしています。
コッローディは『ジャンネッティーノ』で、直接愛国心を
鼓舞するようなことは行っていませんが、
イタリア人を作るという国民形成を強く意識しています。
1878年に教科書として採用されます。
『ジャンネッティーノ』の成功により、1880年から
フェリーチェ・パッジ社の依頼で、コッローディは
『ジャンネッティーノの文法』『ジャンネッティーノの算数』など
ジャンネッティーノの名前を冠した教科書を執筆します。
参考文献:
Pino Boero, Carmine De Luca, La lettratura per l'infanzia, Editori Laterza, Bari, 2009
Rossana Dedola, Pinocchio e Collodi, Mondadori, Milano, 2002
a cura di Daniela Marcheschi, Carlo Collodi Opere, Meridiani Mondadori, Milano, 1995
演劇検閲委員会の出向職員に任命されます。
仕事でさまざまな戯曲を読んだ経験が、
のちに『ピノッキオの冒険』に結実したとも言われています。
そして、1875年49歳のときに転機が訪れます。
小学校の教科書や童話を出版する大手だった
フェリーチェ・パッジ社からの依頼で
シャルル・ペローの作品を翻訳することになったのです。
この翻訳を通じて、コッローディはおとぎ話の世界に触れます。
また、それまで大人向けにコラムなどを書いていたコッローディが
子ども向けにも文章を書くきっかけになりました。
翌1876年、新しい時代にふさわしい作品を、との
フェリーチェ・パッジ社の依頼で
『ジャンネッティーノ』を執筆します。
(1871年にイタリア王国が建国されました)
タイトルは、主人公の少年の名前です。
1837年に出版され、教科書として使われていた
パッラヴィチーニの『ジャンネット』を下敷きにしています。
コッローディは『ジャンネッティーノ』で、直接愛国心を
鼓舞するようなことは行っていませんが、
イタリア人を作るという国民形成を強く意識しています。
1878年に教科書として採用されます。
『ジャンネッティーノ』の成功により、1880年から
フェリーチェ・パッジ社の依頼で、コッローディは
『ジャンネッティーノの文法』『ジャンネッティーノの算数』など
ジャンネッティーノの名前を冠した教科書を執筆します。
参考文献:
Pino Boero, Carmine De Luca, La lettratura per l'infanzia, Editori Laterza, Bari, 2009
Rossana Dedola, Pinocchio e Collodi, Mondadori, Milano, 2002
a cura di Daniela Marcheschi, Carlo Collodi Opere, Meridiani Mondadori, Milano, 1995