2023年03月23日
わたしの聖地巡礼2
サン・ジュリオ島を訪ねたあと(→)
次に目指すは、ロダーリ生誕の地オメーニャです。
湖畔からだらだら坂を上って駅を目指します。
オルタとオメーニャは10kmほどしか離れていないのですが
この2地点をつなぐバスがないので
移動は電車かタクシーになります。
電車は2時間に1本しかなく、タクシーだと30€ほどかかります。
電車で向かわれる方は電車の時間を調べて
それに合わせて行動されることをお勧めします。
わたしは何も考えておらず、
次の電車の時刻など調べずに島を訪問したので
待ち時間たっぷり……なんて状態になってしまいました。
それもこれも旅の醍醐味(?!)と開き直って
のんびり本を読みながら次の電車を待ちました。
オメーニャに到着し、ホテルへ。
ゆっくり眠った翌朝。
いよいよ街を探索する時間です。
向かうはロダーリの生家です。
2000年に開催されたシンポジウムに参加した時に
ロダーリの生家を案内してもらったのですが
2010年だったかにロダーリの生家であることを示す
プレートが掲げられたと聞き、
そのプレートを見たいがために行ってきました。
たったそれだけのために? と呆れられそうですが
いいの、ファンだから
あとで詳しく書きますが、
20年ぶりに訪れたオメーニャの町は
ロダーリ生誕の地ということを大きく打ち出し
外から人を呼びこむ手段にしていました。
ロダーリの生家です。
わたしが見たかったプレートを見てください(←バカ)
「ジャンニ・ロダーリの生家
作家 1920-1960」と書かれています。
めっちゃシンプルですが、縁が虹色になっているのが
他の作家の生家を示すプレートと違うところです。
うまく外観を1枚に収められなかったのですが
扉に向かって右側にはロダーリとオメーニャの関係を
説明するプレートが立っています。
(ロダーリのお父さんはパン職人でした。
水たまりから出られない猫を助けるために
雨の中、外へ出て、肺炎になってしまい、
それが原因で亡くなってしまいました。
ロダーリ9歳のときです。その後、お母さんは
店をお父さんと前妻の子に譲り、
ロダーリとロダーリの弟チェーザレを連れて
生まれ故郷のガヴィラーテに戻ります)
左側にはさまざまな人の顔が描かれた絵があり
絵の左はショーウィンドーになっていて
ロダーリの言葉を引用したポスターなどが
展示されていました。手作りした様子があるので
町の子どもたちが作ったのかもしれません。
ショーウィンドーの上には
「Gianni Rodari」の名前が多くの人の手で書かれた
寄せ書きが掲げられています。
わたしも寄せ書きを書きたかった~なんて思いながら
ドアをくぐると、中庭に出ます。中庭から見た建物の写真です。
庶民的な集合住宅です。
中庭の一角から湖が見えます。
マルチェッロ・アルジッリが書いたロダーリの伝記
『Gianni Rodari. Una biografia』(Einaudi、1990年 未邦訳)に
当時は中庭からほんの数メートルのところに湖があり、
中庭と湖を隔てていたのは細い道だった、
細い道は壁に挟まれていて、壁の一方は
水の中に立っていたとあったのを思い出しました。
今は広い通りが隔てていますが、近いことに変わりはなく、
こんな景色を見ながら少年だったロダーリは
ここで遊んだり本を読んだりしたんだな~と思いを馳せました。
上の方でオメーニャの町はロダーリ生誕の地であることを
前面に押し出して人を呼び込もうとしていると書きましたが
ロダーリの生家を示すプレートや
ロダーリ・ミュージーアムの開設、
ロダーリ作品でおなじみの登場人物の像の設置などだけではなく、
ショーウィンドーに店が売っているものと関連する一節を
ロダーリが書いたものの中から選んで
引用しているところからもうかがえます。
気がついてからはウィンドーを見る楽しみが
増したのは言うまでもありません。
生家の訪問についてはここまでにして
次回はいよいよロダーリ・ミュージーアムについて書きます。
次に目指すは、ロダーリ生誕の地オメーニャです。
湖畔からだらだら坂を上って駅を目指します。
オルタとオメーニャは10kmほどしか離れていないのですが
この2地点をつなぐバスがないので
移動は電車かタクシーになります。
電車は2時間に1本しかなく、タクシーだと30€ほどかかります。
電車で向かわれる方は電車の時間を調べて
それに合わせて行動されることをお勧めします。
わたしは何も考えておらず、
次の電車の時刻など調べずに島を訪問したので
待ち時間たっぷり……なんて状態になってしまいました。
それもこれも旅の醍醐味(?!)と開き直って
のんびり本を読みながら次の電車を待ちました。
オメーニャに到着し、ホテルへ。
ゆっくり眠った翌朝。
いよいよ街を探索する時間です。
向かうはロダーリの生家です。
2000年に開催されたシンポジウムに参加した時に
ロダーリの生家を案内してもらったのですが
2010年だったかにロダーリの生家であることを示す
プレートが掲げられたと聞き、
そのプレートを見たいがために行ってきました。
たったそれだけのために? と呆れられそうですが
いいの、ファンだから
あとで詳しく書きますが、
20年ぶりに訪れたオメーニャの町は
ロダーリ生誕の地ということを大きく打ち出し
外から人を呼びこむ手段にしていました。
ロダーリの生家です。
わたしが見たかったプレートを見てください(←バカ)
「ジャンニ・ロダーリの生家
作家 1920-1960」と書かれています。
めっちゃシンプルですが、縁が虹色になっているのが
他の作家の生家を示すプレートと違うところです。
うまく外観を1枚に収められなかったのですが
扉に向かって右側にはロダーリとオメーニャの関係を
説明するプレートが立っています。
(ロダーリのお父さんはパン職人でした。
水たまりから出られない猫を助けるために
雨の中、外へ出て、肺炎になってしまい、
それが原因で亡くなってしまいました。
ロダーリ9歳のときです。その後、お母さんは
店をお父さんと前妻の子に譲り、
ロダーリとロダーリの弟チェーザレを連れて
生まれ故郷のガヴィラーテに戻ります)
左側にはさまざまな人の顔が描かれた絵があり
絵の左はショーウィンドーになっていて
ロダーリの言葉を引用したポスターなどが
展示されていました。手作りした様子があるので
町の子どもたちが作ったのかもしれません。
ショーウィンドーの上には
「Gianni Rodari」の名前が多くの人の手で書かれた
寄せ書きが掲げられています。
わたしも寄せ書きを書きたかった~なんて思いながら
ドアをくぐると、中庭に出ます。中庭から見た建物の写真です。
庶民的な集合住宅です。
中庭の一角から湖が見えます。
マルチェッロ・アルジッリが書いたロダーリの伝記
『Gianni Rodari. Una biografia』(Einaudi、1990年 未邦訳)に
当時は中庭からほんの数メートルのところに湖があり、
中庭と湖を隔てていたのは細い道だった、
細い道は壁に挟まれていて、壁の一方は
水の中に立っていたとあったのを思い出しました。
今は広い通りが隔てていますが、近いことに変わりはなく、
こんな景色を見ながら少年だったロダーリは
ここで遊んだり本を読んだりしたんだな~と思いを馳せました。
上の方でオメーニャの町はロダーリ生誕の地であることを
前面に押し出して人を呼び込もうとしていると書きましたが
ロダーリの生家を示すプレートや
ロダーリ・ミュージーアムの開設、
ロダーリ作品でおなじみの登場人物の像の設置などだけではなく、
ショーウィンドーに店が売っているものと関連する一節を
ロダーリが書いたものの中から選んで
引用しているところからもうかがえます。
気がついてからはウィンドーを見る楽しみが
増したのは言うまでもありません。
生家の訪問についてはここまでにして
次回はいよいよロダーリ・ミュージーアムについて書きます。
a_yshtm at 11:41│Comments(0)│●ひとりごと